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片目失明者の声を政策に届けるために

片目を失明した人が、多くの場合、身体障害者認定を受けられないことは、当事者であればご存じのことと思う。現在の日本の基準では、片眼の視力がゼロであっても、身体障害者手帳の交付対象となる6級に該当するためには、見える方の眼の視力が0.6以下でなければならない。

障害者手帳の有無は、当事者の人生を大きく左右する。身体障害者として認定されれば、障害者雇用枠で働くという選択肢を持つことができるが、手帳がなければ、その制度を利用することはできない。

健常者と同じ条件で働こうとしても、片眼を失い、遠近感をつかみにくい状態では、職種によっては就労に大きな困難を伴う。また、障害者手帳があれば公共交通機関の運賃割引を受けられる場合があるが、手帳がなければ、その支援も受けられない。駅の階段などに恐怖を感じるため、やむを得ず車の運転を続けている人もいるという。片眼を失明していても、一定の条件を満たせば、運転免許を取得・更新することは可能である。

義眼にかかる費用も、当事者にとって大きな問題である。義眼の多くはオーダーメイドで製作されるため、1回につき数十万円の費用がかかることもある。

現在の制度では、見えない眼球を摘出し、眼窩に装着する義眼については、治療用装具として療養費の支給対象となり、自己負担が大幅に軽減される場合がある。一方、眼球を残したまま、その上から装着する「かぶせ義眼」は、審美目的とみなされ、原則として療養費の支給対象になっていない。

眼球を摘出するか、残すかは、本人の希望だけで決められるものではなく、医学的な必要性を踏まえて判断される。眼球を残した場合でも、見えない眼球が次第に萎縮し、眼窩の保護などのために義眼が必要となることがある。また、外見上の理由から、義眼を装着せずに人前に出ることへ大きな心理的負担を感じる人も少なくない。

このような実情があるにもかかわらず、かぶせ義眼を一律に審美目的と位置づけ、療養費の支給対象から除外する現在の扱いには、当事者から強い反発の声が上がっている。

かぶせ義眼を療養費の支給対象とするには、健康保険制度上の取り扱いを変更する必要がある。実現するとしても、一定の時間を要する見込みである。

一方、一部の自治体では、がん患者の人工乳房やウィッグなどを対象に、アピアランスケアに関する助成制度を設けている。川崎市や東京23区の一部などでは、その対象にかぶせ義眼を含める動きも広がりつつある。

(参考)千代田区の制度:https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/kenko/iryo/konyuhiyojyosei.html

身体障害者認定基準の見直し、義眼への療養費の適用、自治体によるアピアランスケア助成の拡充――これらすべてを同時に実現することは、率直に言って容易ではない。私も当事者との意見交換を重ねてきたが、どの施策を優先すべきかについては、当事者の間でも意見が様々だ。高齢の方にとっては、障害者雇用の利用よりも、義眼にかかる費用への助成の方が切実かもしれない。他方、若い世代にとっては、手帳を取得できるようにし、就労をはじめとする将来の選択肢を広げることの方が重要かもしれない。

2026.7.18 片目失明者友の会 東海支部交流会(愛知県刈谷市にて)
※許可を得て掲載しております

国会では、超党派の「片目失明議員懇話会」が6月に開催され、当事者団体、厚生労働省の担当者、そして私を含む国会議員が参加した。厚生労働省では、片目失明に関する厚生労働科学研究が進められており、2027年度に結論が示される予定である。身体障害者認定基準の見直しが具体的に検討されるのは、早くともその後になるだろう。

(参考)厚生労働科学研究の報告書:https://mhlw-grants.niph.go.jp/project/182598

私たち国会議員としては、身体障害者認定基準の見直しを最終的な目標としつつ、当面は義眼への療養費適用を目指し、それが実現するまでの支援として、自治体によるアピアランスケア助成の拡充を後押しする。このような段階的な取り組みが現実的ではないかと考えている。

しかし、当事者の皆様は、一刻も早い公的支援を待っている。高齢の方もいれば、職を得られず、生活に困窮している方もいる。少しでも政策の実現を早めるためには、当事者が力を合わせ、声を上げ続けていくことが何より重要である。

片目失明者のような少数者が、民主主義社会において政策形成に関わるための方法は、おそらく1つである。それは、経済学者マンサー・オルソンのいう「集合行為」[1]を実現することだ。

政治に大きな影響力を持つとされる業界でさえ、日本社会全体から見れば少数派である。それでも政策形成に影響を与えられるのは、会員各社や関係者が既存の制度にただ乗りするのではなく、組織を通じて主体的かつ継続的に政策形成へ参加する仕組みを持っているからである。

たとえ当事者の数が多くても、「誰かが代わりに動いてくれるだろう」と一人ひとりが考えているうちは、政策はなかなか実現しない。結果として、組織的な集合行為を実現している団体の要望ほど、政策として取り上げられやすく、早期に実現しやすくなる。もちろん、民主主義社会において、このような構造が望ましいかどうかについては、さまざまな議論があるだろう。ただし、ここではその是非について、あえて評価しない。

国会議員の立場から見ても、当事者間で議論を重ね、一定の合意を形成したうえで示された意見は、重みのあるものとして受け止めなければならない。私自身、片目を失明した人々が置かれている現状は極めて厳しく、国による支援策を一刻も早く拡充しなければならないと考えている。当事者の皆様には、ぜひ現在の活動を継続し、力を合わせて声を上げ続けていただきたい。

片目失明者友の会 ホームページ:https://katame.org/


[1] Olson, M., Jr. (1965). The logic of collective action: Public goods and the theory of groups. Harvard University Press.Press.(オルソン, マンサーJr.(1983)『集合行為論――公共財と集団理論』(依田博・森脇俊雅訳)ミネルヴァ書房)